量子力学

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我々のコンピュータの理論は、最終的には実際のコンピュータと関連しなけ ればなりません。 そのためには、物理的に動作するコンピュータの計算を考えなければなりま せん。

現代の物理学では力学は相対論的量子力学によるとされています。 そのため、コンピュータもそれを原理とした動作を前提としなければなりま せん。 しかし、相対論的量子力学は日常的にはニュートン力学などの古典論で近似されます。 そのため、現代コンピュータは半導体を使用してはいますが、基本的な計算原理は古典 的な電磁気学などに基づいています。 そして、現代コンピュータの動作速度はムーアの法則に従えず、徐々に限界へと近づ いています。

ファインマンが提唱し、ドイチェが形式化した量子コンピュータは、量子力学 に基づいたコンピュータです。 そして、ショーアにより、素因数分解を行う高速なアルゴリズムと、グルーバー による選択問題の高速なアルゴリズムが開発されたことにより、現在に至るま で、量子コンピュータの実現の研究が盛んに行われています。

本章では、量子コンピュータの概要を述べます。

1. 量子力学

概要

古典力学は原子レベルの微細な現象を説明できず破綻することが分かり、微 細な現象を説明できる力学が必要となりました。 そこで登場したのが量子力学です。 しかし、従来の力学とは大きく異なるため、本 質を理解するのはなかなか難しいです。 さらに、物質の本質的な状態は 正確に測定できない(不確定性原理)という性質があります。 これは、従来の物理の根底にある、この世のものは目で見えたように存在す るという素朴実在論という哲学をひっくり返しました。 さらに、量子力学では仮 定している本質を知る術がないという性質から、正当性を証明することを不 可能にしています。 但し、様々な実験結果を良く説明する理論の中ではもっともシンプルな理論で あるため、支持されています。

量子力学の基本原理は次の通りです。

  1. 物体の状態 ψ は複素ヒルベルト空間の列ベクトル ψ (状態ベクトル)で表せるとする(有限次元、無限次 元を問わない)。 有限個の物理量が得られるものは有限次元、無限個の物理量が得られるものは 無限次元である。
  2. 我々は物体を観測することでしか認知できない。 観測は複素ヒルベルト空間の自己共役演算子により行われ、得られる観測 値は固有値のどれかになる。
  3. 自己共役演算子 A ^ の 固有値 a に属する固有ベクトル空間 a に関して、固有値aへの射影演算子 P ^ a = a a a と定義するとき、 a が観測される確率は P ^ a ψ 2 となる(Born の確率規則)
  4. 閉じた系において状態 ψ t 1 から状態 ψ t 2 に時間発展するとき、ユニタリ行列 Uにより、 ψ t 2 = U ψ t 1 となる。

なお、ヒルベルト空間とは完備な内積空間のことです。 列ベクトル ψ に対して、 エルミート転置行ベクトルを ψ = ψ と書きます。 そして、 ψ , ψ' の内積を ψ | ψ' で表します。 自己共役演算子とは複素ヒルベルト空間 H の関数 h : H H h ψ | ψ' = ψ | h ψ' を満たすことです。 例えば、転置複素行列が元の行列と等しい、エルミート行列は 自己共役演算子になります。 自己共役演算子の固有値はすべて実数になりますので、量子力学の枠組みで の観測値はすべて実数です。

ユニタリ行列Uとは U U = 1 ^ を満たす行列のことである。

さらに、列ベクトル ψ から作った行列 ψ ψ は自己共役演算子になります。この自己共役演算子は ψ に平行な成分を取り出すため、 ψ への射影演算子と呼ばれます。

なお、固有ベクトルは、相互に長さ1で直交するように正規化するものとする。

さらに、任意の自己共役演算子のすべての固有ベクトルを集めると、そのヒ ルベルト空間の任意のベクトルを線形結合で表せるという 完全系をなすことが知られている。 状態 ψ に対して 固有ベクトル a ごとの係数を返す関数(波動関数) ψ a C を仮定すると、状態ベクトルを次のように表現できる。

ψ = a ψ a a , a ψ a 2 = 1

さらに、各固有ベクトル同士は直交するように選んでいるので、以下が導かれる。

a ψ = a ψ a a a = ψ a , ψ = a a ψ a = a a a ψ , a a a = 1 ^

固有値 a に対応する固有ベクトルから得られる射影演算子の和を P ^ a で表す。

A ^ = a a P ^ a

これを用いると、状態 ψ に対して a が観測される確率は次で表さ れる。

Pr ψ a = P ^ a ψ 2

古典論の破綻

熱源から放射される電磁波のスペクトル分布がプランクの法則で説明される ことが分かりました(1900年)。 この式の導出をするには、電磁気学や熱力学的な考察だけからは導けず、エ ネルギーは振動数に比例する単位の整数倍となることがわかってきました。

I ν T = 2 h ν 3 c 2 1 e h ν / k T - 1

さらに、アインシュタインは電磁波は光子という粒子からできていて、エネルギーの最小単位に振動数を掛け たもの E = h ν になっているという仮説を提案しました(1905)。

原子の構造が、原子核と電子からなるものと分かって来たとき(長岡半太郎 ほか 1904年前後)、 原子の大きさ が定まらないことや、電子が粒子としたときに、軌道が存在することや、さら に、軌道に止まることが古典論では何も説明できないことが分かって来まし た。

Stern-Gerlach experiment

さらにシュテルン・ゲルラッハ(Stern–Gerlach)の実験が行われました(1922年)。 これは、銀の蒸気を不均一な磁界の中に通す実験です。 銀の原子番号は47で、電子の配置は (1s)2 (2s)2 (2p)6 (3s)2 (3p)6 (3d)10 (4s)2 (4p)6 (4d)10 (5s)1となり、 最外殻の電子以外は、電子の磁気モーメントを互いに打ち消すようにできま すが、最外殻の電子だけは磁気モーメントを打ち消せません。 銀の蒸気は電気的に中性なので、ローレンツ力による影響は受けません。 しかし、それでも銀の粒子に磁気モーメントがあれば、不均一な磁界におい ては磁気の不均一さによる影響を受けるはずです。 磁気に偏りがある粒子であれば、磁気の強い側から受ける力が弱い側から受ける力を上回るため、粒子の運動が影響を受けることになります。 つまり、この実験は銀の粒子の磁 気モーメントを計測する実験となります。 そして、実際に磁気モーメントの影響を調べたところ、一定の分布ではなく、たった 2種類に均等に分類されました。 後に、ナトリウム、水素でも測定しましたが、同じ結果が得られました。 これは、電子は2種類だけの磁気モーメントを等確率で持つことを示してい ます。

後に、平行な二本のスリットに電子を一個ずつ発射すると、スリットの後ろ に干渉縞ができる実験が行われました(1961年)。

また、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンは一つの素粒子から生ま れた二つの粒子を遠隔で観測した場合、(例えば、磁気モーメントの無い粒 子から二つの電子が生まれた場 合、二つの磁気モーメントは互いに逆になっているなどの)相関関係が生じ るには観測の因果が 光速を越えなければならないことを指摘しました(EPR パラドックス 1935年)。 しかし、ベル不等式という、古典論で仮定される局所実在論という目の前の 物体はそのまま存在し、遠隔の物体とは因果律を越えないことを仮定するこ とで得られる不等式が破られることも実験で分かりました。 そのため、EPRパラドックスは実際に観測されるため、EPR相関などと呼ばれるようになりました。

量子論の基礎

シュテルン・ゲルラッハの実験により、電子に磁気モーメントがあることが分 かりました。 そして、そこから、電子に2種類の回転モーメントがあることが分かりました。 これを電子のスピンと呼び、 +1, -1 や +1/2, -1/2 や +, - などと表します。 ここではこの電子のスピンに話を絞って進めます。

2現象なので、観測する固有値は2つだけ、つまり、2次元の状態ベクトルを 観測した結果だとします。

つまり、電子の磁気モーメント 内部状態を二次元複素数ベクトル空間の長さ1の列ベクトル ψ = ξ η , ξ* ξ + η* η = 1 で表します。

これを観測して、 +1, -1 が得られるような自己共役演算子 A ^ = a b c d を求めます。 つまり、これが二つの固有値 +1 と -1 を持つ条件を求めます。

A ^ が固有値qを持つ場合、固有ベクトルpを用いると、次のように書けます。

A ^ p = q p
det A ^ - q E = 0 a d - 2 a + d q + q2 - b c = 0

これで、 qは +1 と -1 、また A ^ はエルミート行列ですから、 a, dは実数, b = c * ですが、さらに 次が得られます。

a + d = 0 , a d + 1 - b c = 0

これを満たす以下の3つの行列をパウリ行列と呼びます。

σx = 01 10 , σy = 0-ⅈ 0 , σz = 10 0-1

パウリの行列には様々な性質があります。例えば、これに単位行列を加える と、あらゆるエルミート行列がパウリ行列の実数倍の和で表されるなどです。

パウリ行列のそれぞれに対して、長さ 1 の固有ベクトルを求めると次の様になります。

σx の固有ベクトル = 1 2 1 ±1 = ±x とおく , σy の固有ベクトル = 1 2 1 ± = ±y とおく , σz の固有ベクトル = 1 0 , 0 1 = ±z とおく

ψ = ξ η を σ x で観測すると、 +1, -1 が観測される確率はそれぞれ

Pr +1x = +x | ψ 2 = 12* 12* ξ η 2 = 12 ξ + η 2 = 12 ξ* + η* ξ + η = 12 ξ* ξ + η* η + ξ* η + ξ η* = 12 1 + ξ* η + ξ η* , Pr -1x = -x | ψ 2 = 12* -12* ξ η 2 = 12 ξ - η 2 = 12 ξ* - η* ξ - η = 12 ξ* ξ + η* η - ξ* η - ξ η* = 12 1 - ξ* η - ξ η*

ψ = ξ η を σ y で観測すると、 +1, -1 が観測される確率はそれぞれ

Pr +1y = +y | ψ 2 = 12* 2* ξ η 2 = 12 ξ - η 2 = 12 ξ* + η* ξ - η = 12 ξ* ξ + η* η - ξ* η + ξ η* = 12 1 - ξ* η + ξ η* , Pr -1y = -y | ψ 2 = 12* -ⅈ2* ξ η 2 = 12 ξ + η 2 = 12 ξ* - η* ξ + η = 12 ξ* ξ + η* η + ξ* η - ξ η* = 12 1 + ξ* η - ξ η*

ψ = ξ η を σ z で観測すると、 +1, -1 が観測される確率はそれぞれ

Pr +1z = +z | ψ 2 = 1* 0* ξ η 2 = ξ 2 , Pr -1z = -z | ψ 2 = 0* 1* ξ η 2 = η 2

重ね合わせ

ψ 1 = 1 0 , ψ 2 = 0 1 , ψ = 1 2 ψ 1 + 2 ψ 2 σ y で観測することを考える。 それぞれ、 + か - が観測されるが、これは、それぞれの状態が+の状 態と -の状態の重ね合わせになっていると考えられる。

σ y の固有ベクトルは、 + y = 1 2 2 , - y = 1 2 -ⅈ 2 より、各状態は以下のように固有ベクトルの線形結合で書ける。

ψ 1 = 1 2 + y + 1 2 - y , ψ 2 = -ⅈ 2 + y + 2 - y , ψ = 1 + y + 0 - y

観測確率は、観測値である固有値に対応する固有ベクトルの係数の和の二乗 になるので、それぞれ以下のようになる。

Pr ψ1 + = 1 2 , Pr ψ1 - = 1 2
Pr ψ2 + = 1 2 , Pr ψ2 - = 1 2
Pr ψ + = 1 , Pr ψ - = 0

このように、同じ確率が現象が観測される二つの状態の重ね合わせで、干渉 により一つの現象が確率されないことが起こりうる。

ψ = c 1 ψ 1 + c 1 ψ 2 に対して、 a が観測される確率を求めると、 次のように、単純な足し算ではなく、干渉項が現れるのが分かる。

Pr ψ a = ψ P ^ a ψ = c 1 ψ 1 + c 2 ψ 2 P ^ a c 1 ψ 1 + c 2 ψ 2 = c 1 * c 1 ψ 1 P ^ a ψ 1 + c 1 * c 2 ψ 1 P ^ a ψ 2 + c 2 * c 1 ψ 2 P ^ a ψ 1 + c 2 * c 2 ψ 2 P ^ a ψ 2 = c 1 2 Pr ψ 1 a + c 2 2 Pr ψ 2 a + c 1 * c 2 ψ 1 P ^ a ψ 2 + c 2 * c 1 ψ 2 P ^ a ψ 1

ゆらぎ

状態 ψ に対する物理量 A とその平均値 A = ψ A ^ ψ に対して、 ばらつきを次のように定義する。 Δ A = A - A 。 分散と、標準偏差は次のように定義される。 Δ A 2 , δ A = Δ A 2 .

Δ A 2 = a a - A 2 Pr a
ψ Δ A ^ 2 ψ = ψ A ^ - A 1 ^ 2 ψ = ψ A ^ 2 - 2 A A ^ + A 2 1 ^ ψ = ψ A ^ 2 ψ - 2 A ψ A ^ ψ + A 2 1 ^ = A 2 - A 2 = Δ A 2 = δ A 2

不確定性原理

二つの演算子 A ^ , B ^ に対して、交換子を次のように定義する。

A ^ B ^ = A ^ B ^ - B ^ A ^

ここで A ^ B ^ = C ^ と置くと、エルミート共役を取ることにより、以下のように C ^ は自己共役演算子になる。

C ^ = A ^ B ^ = A ^ B ^ - B ^ A ^ = B ^ A ^ - A ^ B ^ = - C ^

不確定性原理

自己共役演算子 A ^ , B ^ が、ある実定数 k に対して、 A ^ B ^ = k 1 ^ となるとき、

δ A δ B k 2

つまり次が成り立つ。

ψ Δ A ^ 2 ψ ψ Δ B ^ 2 ψ k 2 4
導出

まず、 Δ A ^ Δ B ^ = A ^ B ^ = k 1 ^ を示す。

Δ A ^ Δ B ^ = A ^ - A 1 ^ B ^ - B 1 ^ = A ^ - A 1 ^ B ^ - B 1 ^ - B ^ - B 1 ^ A ^ - A 1 ^ = A ^ B ^ - B ^ A ^

さて、任意の実数 λ に対して、 Δ A ^ + λ Δ B ^ は自己共役演算子になります。 したがって、任意の状態ベクトル ψ に対して、 Δ A ^ + λ Δ B ^ ψ のノルムは常に非負になります。 つまり以下が任意の λ で成り立ちます。

Δ A ^ + λ Δ B ^ ψ Δ A ^ + λ Δ B ^ ψ 0

この式を整理すると、以下のように λ に関する二次不等式が得られ ます。

ψ Δ A ^ 2 ψ + ψ Δ A ^ Δ B ^ - Δ B ^ Δ A ^ ψ λ + ψ Δ B ^ 2 ψ λ 2 0 ψ Δ B ^ 2 ψ λ 2 - k λ + ψ Δ A ^ 2 ψ 0

ψ Δ B ^ 2 ψ 0 より、 この二次不等式が常に成立するのは判別式が非正の場合。 つまり求める条件は以下の通り。

D = k 2 - 4 ψ Δ A ^ 2 ψ ψ Δ B ^ 2 ψ 0 ψ Δ A ^ 2 ψ ψ Δ B ^ 2 ψ k 2 4

時間発展

閉じた系において状態 ψ t 1 から状態 ψ t 2 に時間発展するとき、ユニタリ行列 Uにより、 ψ t 2 = U ψ t 1 となるとき、次のシュレディンガー方程式を導出できます。

- d ψ dt = H ψ

坂本直志 <sakamoto@c.dendai.ac.jp>
東京電機大学工学部情報通信工学科